2020 GAFA と BATHに 挟まれて、 古き良き日のメルセデスベンツ W124 500Eを通じて、 内燃機関を思い 馬に乗り、剣を振り、やわらをとる(2)
新型コロナウイルスの影響もあり、
紙幣の世界的増刷による、カネ余りが影響してでしょうが、
暮れ行く 落日の帝国の 内燃機関を横目に
落ち込んだ株式市場の復調とともに一時、テスラの株価は、今年年初から約6倍に上昇してます。
(2020年 年末に書いておいた記事です)
宇宙ロケット、有人衛星を打ち上げる効果もあるんでしょうが、
太平洋側の米国から見ると、残念ながら日の沈み入る國、我が国の自動車産業を表すが如くです。

そりゃ 人工衛星もあがるわなー
時価総額なんてのは、そもそも株式市場、鉄火場の、
博打うちの張ったBIT金額の倍数でしかないんだけど、
それでも、人気投票の結果であること、近未来の期待値、相対比較には一応の整合性はあるわけで、
発行済み株式総数に、上場している株価をかけた数字、すなわち、
時価総額は、テスラ1社で日本に上場する自動車メーカー全9社、
つまり、トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、いすず、三菱、ダイハツ、スズキ、おまけに日野自動車までたした
その合計を追い抜いてます。

もー、どーにもなりませんがな、
内燃機関、ベンツw124のことでいうと、
もう、時代は自動運転と電気化の中にすすむわけで、
自分で運転する自動車なんてものは、クローズドサーキットの中か、ドラッグストリップ、ショー会場、
もしくは、自宅ガレージで眺める、懐古趣味で楽しむものになるのかもしれません。
いや、なると思っています。
これ別に驚いたことではなく、
自動運転が主流になって自動車間の情報交換が出てくると、古い車でこれに対応してない車は
公道を走れなくなるという日もくるんでしょう。それ以外にも公害や、安全規制の美名のもとに規制されるかもしれないと
思ってます。
世のなか、こんなこと普通に起きますよ、
さて、タイトルにも書いた あと何年のれるかな?2018年 「馬に乗る」
これまでも小淵沢の滞在時等でも書いていますが、
私なんか、午年生まれの母親のお腹の中、
産まれる前から馬に乗って、
今でも、さすがに毎日ではなくなりましたが、
馬の背中で過ごすために、暮らす生活、身体が馬の、ケンタウロスみたいなものです。
こんな人生ですから、
世の中の移り変わりによって、いつの間にか当たり前が変わってしまうことの悲しさ
滅びゆくものの悲哀、この悲哀はよーく、わかります、
大人たちの会話、口碑でも、さんざん伝え聞いています。
私の記憶には鮮明にはありませんが、
昭和40年代までは、整備された幹線道路の他は、
日本の道路は砂利、バラストが多かったです。
わたしは、北関東の田舎育ちだったので、馬はもちろん、田んぼや畑、
郊外での農業、牛、ヤギの記憶もあります。
その前の30年代、自動車が少なかったころは、
ちょっとした田舎なら馬耕や馬運は残っていたようですし、
もしくは都内でも、馬や馬車が道路にいました。
60年代半ばまでは、都内でも馬運業者が 江東区他では残っていました。

さすがに、
私がオートバイ乗るころになった昭和も50年代半ば、80年代になると、
馬を公道で乗るひとは、都内はもちろん、群馬の田舎でもめったにいませんでした。
(今でも、世田谷の馬事公苑、農大のあたりは、馬が通ってますね)

(写真は昭和43年 先頭は日大の故後藤監督、藤沢の厩舎から江の島までの初乗りです。さすがに、いまじゃ無理でしょうね)
めったにというのは、ゼロではなかったからです(笑)。
さてさて、話 展開しますが
大戦後、東西対立と世界的に広がった社会主義マンセーの学生運動以後、
我が国も、産業復興とともにモータリゼーションが進み、
それにベビーブーマーの若者のエネルギーが 加わって、
暴走族、社会問題になり、
二輪車の免許制度まで変えて、それでも収まらず、
しまいには、学生はオートバイに乗るな!
免許をとらない、とらせない、オートバイにのらない 等という
わけのわからない 三無い運動が全国的に始まりました。
その流れで、
私は、愛機集合チャンバーのスズキGT380でのバイク通学が禁止されてしまいました。
なので、仕方なく家から、馬で通学したことがあります(笑)。 ↑ こういうのを子供のころから見知ってるから
そういうことするんでしょう
地方都市の中心部にあった家から、朝、
県庁や市役所に向かう公務員や登校する近所の女学生の隊列を横目に、
馬で詰襟の上着は学生服に学生帽被って、
郊外に移転した学校、田んぼに囲まれた校舎に登校しました。
自転車置き場を片付けて、馬をつないで、登校したわけですが、
時間をおかずに、警察官が何人か、学校に来て、校長室で お説教を食らいました。
別に、違法なことしてたわけでもなく、馬も軽車両ですから、
怒られる筋合いの話ではないはずなんですが、
とにかく、もうダメと、ものすごい勢いで、怒られました。
わかりました。
知事公邸や、県警本部長の家の前は通りません、
次は、ボロ、馬糞はかたずけます。
安全のために、学生帽でなくて、
きちんと保護帽、ヘルメット被ります、
なんなら、正装で、白い手袋に、白い乗馬ズボンできますとか、
ブーツは紐なしにしますとか、いろいろ言い訳したんですが、
そういう問題じゃない!ってことで、
多数に押し切られる
世の中の流れの理不尽さを約40年前に感じたわけです。
(中高年にありがちな”武勇伝”として聞いてください)
でもね、みなさん、そのうち、内燃機関の自動車も、こういう時代になりますよ!
赤城おろしに吹かれて澄んだ目をした紅顔の青年は、胸に大志を抱きつつ、
十六歳で時代の流れ、エネルギーや移動手段、産業構造の変遷を身をもって感じました。
その40年後に、同じようなことを感じてます。
まじめな話、
昔の群馬県、いや日本の主要産業であった、養蚕、生糸、繊維産業は、
ナイロンの発明や、産業構造の変化、ドル円為替や、人件費、価格競争に敗れて、
幼児から小学生高学年になるころには、なくなっており、
かわりに、とってかわったのが、
家電や弱電、自動車、自動車部品です
その外郭工場が郊外に立ち、労働力として若者が都会に行かなくても、
地元で働けるようになりました。
わたしの高校生時代は、
もちろん、国産の石炭から輸入、石油エネルギーへの転換もすでに終わっていました。
エネルギーの転換や、物流の変化、産業の変化、いや大変動を歴史や地理、新聞、書籍や
大人たちの話から、昔語り、その残渣を敏感に感じており、これからどうなるんだろうと思ってたわけです。
そう考えると、今、我々が言う、w124の車両の剛性感だとか、
リニアな感じとか、フリクションのない感じとかは、どれほどのものなのかと感じます。
こういう感じ自体は、たとえば、新幹線や飛行機に乗っても感じられます。
しかし、自動車、高速道路で、自由意志で、
自分でアクセル踏んで、加速して、ブレーキ踏んで、荷重かけて、ハンドルを切る、
クリッピングポイントで、アクセルを踏む、リアが沈み込むなんてのは、
もう、できなくなるわけです。
要は、大事故の危険背負いながら、移動することの自由があったわけです。
これは、やがてゆるされなくなる。
きっと、夜のトラックばかりの東名高速の隊列の中を走るような感覚や、
流れに乗って、付和雷同で、協調圧力に従って
事故がおきない(減る)、ヒューマンエラーなく、管理されて
移動することを要求されるようになるんでしょう
”夕暮れ時にミネルバの梟ははばたく” と題したこのブログですが、
そんな時代がもう目の前に来てるんだと感じます。
思えば、事故を起こさないことを前提に、
高速道路を、制限速度+αで 巡行するなんてことも、
監視カメラ、ドラレコの普及や軽自動車、トラック高速輸送の普及で やりずらくなりました。
都市間移動、キャノンボールが何時間、何分
2000年代まではOKだったとしても、総監視社会のいまでは無理でしょう
自動運転、電動化が進む、この10年でさらに変わるはずです。
自分で運転することの楽しみを味わえるのは今のうちだと 本当に思っています。
モータリゼーションで、移動のための馬が、一部の町を除いて姿を消したのが、
日本では大戦後、米国では、自動車産業の発展による大戦前です。
その何十年か前に、江戸幕府が大政奉還、近代化の流れで、
廃刀令で公務員集団であった侍階級がなくなり、廃刀令で身分を問わず、刀を帯びられなくなりました。
これも大きな革命であったわけで、私にとっても、身近な話です。
これは、次の機会で
紙幣の世界的増刷による、カネ余りが影響してでしょうが、
暮れ行く 落日の帝国の 内燃機関を横目に
落ち込んだ株式市場の復調とともに一時、テスラの株価は、今年年初から約6倍に上昇してます。
(2020年 年末に書いておいた記事です)
宇宙ロケット、有人衛星を打ち上げる効果もあるんでしょうが、
太平洋側の米国から見ると、残念ながら日の沈み入る國、我が国の自動車産業を表すが如くです。

そりゃ 人工衛星もあがるわなー
時価総額なんてのは、そもそも株式市場、鉄火場の、
博打うちの張ったBIT金額の倍数でしかないんだけど、
それでも、人気投票の結果であること、近未来の期待値、相対比較には一応の整合性はあるわけで、
発行済み株式総数に、上場している株価をかけた数字、すなわち、
時価総額は、テスラ1社で日本に上場する自動車メーカー全9社、
つまり、トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、いすず、三菱、ダイハツ、スズキ、おまけに日野自動車までたした
その合計を追い抜いてます。

もー、どーにもなりませんがな、
内燃機関、ベンツw124のことでいうと、
もう、時代は自動運転と電気化の中にすすむわけで、
自分で運転する自動車なんてものは、クローズドサーキットの中か、ドラッグストリップ、ショー会場、
もしくは、自宅ガレージで眺める、懐古趣味で楽しむものになるのかもしれません。
いや、なると思っています。
これ別に驚いたことではなく、
自動運転が主流になって自動車間の情報交換が出てくると、古い車でこれに対応してない車は
公道を走れなくなるという日もくるんでしょう。それ以外にも公害や、安全規制の美名のもとに規制されるかもしれないと
思ってます。
世のなか、こんなこと普通に起きますよ、
さて、タイトルにも書いた あと何年のれるかな?2018年 「馬に乗る」
これまでも小淵沢の滞在時等でも書いていますが、
私なんか、午年生まれの母親のお腹の中、
産まれる前から馬に乗って、
今でも、さすがに毎日ではなくなりましたが、
馬の背中で過ごすために、暮らす生活、身体が馬の、ケンタウロスみたいなものです。
こんな人生ですから、
世の中の移り変わりによって、いつの間にか当たり前が変わってしまうことの悲しさ
滅びゆくものの悲哀、この悲哀はよーく、わかります、
大人たちの会話、口碑でも、さんざん伝え聞いています。
私の記憶には鮮明にはありませんが、
昭和40年代までは、整備された幹線道路の他は、
日本の道路は砂利、バラストが多かったです。
わたしは、北関東の田舎育ちだったので、馬はもちろん、田んぼや畑、
郊外での農業、牛、ヤギの記憶もあります。
その前の30年代、自動車が少なかったころは、
ちょっとした田舎なら馬耕や馬運は残っていたようですし、
もしくは都内でも、馬や馬車が道路にいました。
60年代半ばまでは、都内でも馬運業者が 江東区他では残っていました。

さすがに、
私がオートバイ乗るころになった昭和も50年代半ば、80年代になると、
馬を公道で乗るひとは、都内はもちろん、群馬の田舎でもめったにいませんでした。
(今でも、世田谷の馬事公苑、農大のあたりは、馬が通ってますね)

(写真は昭和43年 先頭は日大の故後藤監督、藤沢の厩舎から江の島までの初乗りです。さすがに、いまじゃ無理でしょうね)
めったにというのは、ゼロではなかったからです(笑)。
さてさて、話 展開しますが
大戦後、東西対立と世界的に広がった社会主義マンセーの学生運動以後、
我が国も、産業復興とともにモータリゼーションが進み、
それにベビーブーマーの若者のエネルギーが 加わって、
暴走族、社会問題になり、
二輪車の免許制度まで変えて、それでも収まらず、
しまいには、学生はオートバイに乗るな!
免許をとらない、とらせない、オートバイにのらない 等という
わけのわからない 三無い運動が全国的に始まりました。
その流れで、
私は、愛機集合チャンバーのスズキGT380でのバイク通学が禁止されてしまいました。
なので、仕方なく家から、馬で通学したことがあります(笑)。 ↑ こういうのを子供のころから見知ってるから
そういうことするんでしょう
地方都市の中心部にあった家から、朝、
県庁や市役所に向かう公務員や登校する近所の女学生の隊列を横目に、
馬で詰襟の上着は学生服に学生帽被って、
郊外に移転した学校、田んぼに囲まれた校舎に登校しました。
自転車置き場を片付けて、馬をつないで、登校したわけですが、
時間をおかずに、警察官が何人か、学校に来て、校長室で お説教を食らいました。
別に、違法なことしてたわけでもなく、馬も軽車両ですから、
怒られる筋合いの話ではないはずなんですが、
とにかく、もうダメと、ものすごい勢いで、怒られました。
わかりました。
知事公邸や、県警本部長の家の前は通りません、
次は、ボロ、馬糞はかたずけます。
安全のために、学生帽でなくて、
きちんと保護帽、ヘルメット被ります、
なんなら、正装で、白い手袋に、白い乗馬ズボンできますとか、
ブーツは紐なしにしますとか、いろいろ言い訳したんですが、
そういう問題じゃない!ってことで、
多数に押し切られる
世の中の流れの理不尽さを約40年前に感じたわけです。
(中高年にありがちな”武勇伝”として聞いてください)
でもね、みなさん、そのうち、内燃機関の自動車も、こういう時代になりますよ!
赤城おろしに吹かれて澄んだ目をした紅顔の青年は、胸に大志を抱きつつ、
十六歳で時代の流れ、エネルギーや移動手段、産業構造の変遷を身をもって感じました。
その40年後に、同じようなことを感じてます。
まじめな話、
昔の群馬県、いや日本の主要産業であった、養蚕、生糸、繊維産業は、
ナイロンの発明や、産業構造の変化、ドル円為替や、人件費、価格競争に敗れて、
幼児から小学生高学年になるころには、なくなっており、
かわりに、とってかわったのが、
家電や弱電、自動車、自動車部品です
その外郭工場が郊外に立ち、労働力として若者が都会に行かなくても、
地元で働けるようになりました。
わたしの高校生時代は、
もちろん、国産の石炭から輸入、石油エネルギーへの転換もすでに終わっていました。
エネルギーの転換や、物流の変化、産業の変化、いや大変動を歴史や地理、新聞、書籍や
大人たちの話から、昔語り、その残渣を敏感に感じており、これからどうなるんだろうと思ってたわけです。
そう考えると、今、我々が言う、w124の車両の剛性感だとか、
リニアな感じとか、フリクションのない感じとかは、どれほどのものなのかと感じます。
こういう感じ自体は、たとえば、新幹線や飛行機に乗っても感じられます。
しかし、自動車、高速道路で、自由意志で、
自分でアクセル踏んで、加速して、ブレーキ踏んで、荷重かけて、ハンドルを切る、
クリッピングポイントで、アクセルを踏む、リアが沈み込むなんてのは、
もう、できなくなるわけです。
要は、大事故の危険背負いながら、移動することの自由があったわけです。
これは、やがてゆるされなくなる。
きっと、夜のトラックばかりの東名高速の隊列の中を走るような感覚や、
流れに乗って、付和雷同で、協調圧力に従って
事故がおきない(減る)、ヒューマンエラーなく、管理されて
移動することを要求されるようになるんでしょう
”夕暮れ時にミネルバの梟ははばたく” と題したこのブログですが、
そんな時代がもう目の前に来てるんだと感じます。
思えば、事故を起こさないことを前提に、
高速道路を、制限速度+αで 巡行するなんてことも、
監視カメラ、ドラレコの普及や軽自動車、トラック高速輸送の普及で やりずらくなりました。
都市間移動、キャノンボールが何時間、何分
2000年代まではOKだったとしても、総監視社会のいまでは無理でしょう
自動運転、電動化が進む、この10年でさらに変わるはずです。
自分で運転することの楽しみを味わえるのは今のうちだと 本当に思っています。
モータリゼーションで、移動のための馬が、一部の町を除いて姿を消したのが、
日本では大戦後、米国では、自動車産業の発展による大戦前です。
その何十年か前に、江戸幕府が大政奉還、近代化の流れで、
廃刀令で公務員集団であった侍階級がなくなり、廃刀令で身分を問わず、刀を帯びられなくなりました。
これも大きな革命であったわけで、私にとっても、身近な話です。
これは、次の機会で
- 関連記事
-
-
近況報告2021 12 2021/12/29
-
Porsche 928 と 500E ポルシェが作ったベンツというのが嫌いなわけ 2021/10/10
-
2020 GAFA と BATHに 挟まれて、 古き良き日のメルセデスベンツ W124 500Eを通じて、 内燃機関を思い 馬に乗り、剣を振り、やわらをとる(2) 2021/01/17
-
CARBPY Returns 3 発売中 2020/06/24
-
パッケージング優先の アンバランスさ について (2) 偉大な実用車としての堅持 2019/06/24
-
コメント