2017/02/22

CAR.BOY2017

八重洲出版のCARBOYが休刊(事実上の廃刊)になってから、
だいぶ経ちました。

一時は週刊文春や週刊新潮より、発行部数の多い雑誌で、たしか30万部とかで、
一時代の文化を創った雑誌だったと思います。

私も学生の頃からの愛読書で、毎月15日の発売日が待ち遠しかったのを覚えています。
若年期の多感な頃、多くの影響を受けた雑誌で、今の車道楽の一因にも間違いなくなっています。

そんな雑誌の看板編集者だった藤本さんが、webマガジンを立ち上げましたので、紹介させてください。

CAR BOY REBORN

藤本さん、モモノスケオフィスが編集著作した雑誌記事が順次アップされます。

20年、四半世紀、30年以上たっても、今読み返しても面白い、雰囲気の伝わる素晴らしい原稿だと思います。

フォントや、段組み、文章のリズム、読者層のターゲッティング、写真、藤本節、
当時の本を読むときの、胸の高なり が感じられると思います。

170214-0009.png

それで、写真の空冷ポルシェの記事、読み返しておもったのですが、
プロモデットの小峰さんも、RAWの中井さんも、考えてみれば、藤本さんの記事からなんですね

今、この車、記事の写真を見れば、私なんかだと、
マーレーだからメッキが~だとか、窒素封入のexバルブはとか、
バルブリフトはもっと大きいほうがシングルバルブだととか、フィンのピッチがどうしたとか、
細部細部に粘着するんでしょう

空冷ポルシェが高騰したのも、オーバーフェンダーつけた車が増えたのも、これらの記事が
発祥だったんですね

私の書く雑文は、こんなに爽やかではなく、偏執狂のブツブツつぶやく独り言に近いのですが、
もともと影響をうけたのは、こんな文章だったんだと気が付きました。

こんな文章を書ける大人になりたいと思っていた、頬熱く理想、夢を追いかけてた青春時代を思い出します。

一つのことを長く考える、深く考える性癖があるので、この車のことは続けて記事を書いていますが、
まあ、そんなことをしようかと思ったきっかけは、おそらくカーボーイにあったんだと思います。
創刊号からしばらくは、オートメカニックみたいなA4右開きの雑誌で、エンジンチューンや、エンジンスワップ、DIY記事が
多く、やがてチューニングという言葉が裏通りの雰囲気こそあれ一般的になり、ボーリング屋や解体屋という一般人が知らなかった
自動車関連業が日の目を見ることになったんだと思います。

ゼロヨンや、ドリフト、鬼キャンなんてのも、この雑誌ですよね

登場する人々が、まだみんな若々しくいるのに懐かしさを感じます。



今後もフォローしていこうと思います。
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コメント

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No title

ども!

ワタシもCAR BOYの創刊号から、
読んでいて、太田さんのやっていた、
カーボーイガレージが、大好きで、
編集部に遊びに行って、CAR BOYステッカーを、貰って、フロント、リヤウインドウに、貼って、走り回っていたのを、
思い出しました。

当時、オプションも、買っていましたが、
伊勢崎の有名書店でも、各2冊しか仕入れて
いなかったのが、徐々に増え、やがては、
山積みになりました。
チューニングブームに、なった頃ですね。

パトカーや白バイに、よく、停められましたが、いい時代だったような・・・

Re: No title

Nohoさん

 まいどです

 CARBOY ステッカー私も貼っていました。
 群馬だと 貼ってる人、2~3人しかしりませんでしたね

 最初の頃の角とじと、ホチキス二点止めになってからは、紙面構成や広告がだいぶ変わってますね

 カーボーイガレージは小平でしたっけ? 私も何度かお邪魔したことがあります。
 自分の工場が欲しいと思うきっかけでしたね

 柿本L型の記事や、SAKO だったかの、
 ロータリーのポートの記事は、それこそ穴が開くくらい見てました。

 創刊号からみると、もう35年、もうすぐ40年とか たつんですね(笑)