2015/06/24

麺処 かじゅんと岡田さん逝去

 

この写真、去年の8月のお盆休みに帰国したときに行った
  群馬県高崎市日高町のらーめんかじゅん の入口。

 「また、店始めたから奥さんといっしょに遊びに来てよ~」 と素っ頓狂な声、
 国際電話でお誘いをうけて伺ったときの写真。アイフォンに残っていました。

 まさか、こんな形で紹介することになるとは思いませんでしたが、
 岡田淳さん、先週6月16日に永眠しました。

 昨年、店にお邪魔したときは、仙台D&Sの後、
 「仙台ハイランドなくなっちゃうんだよ~、えー! 知らなかった! 」等という話を、
 
 カウンター挟んで、名物の煮卵用のゆで卵、剥きながらしてました。
 (こちらも美味しかったTKG用の高級卵とは別のものだったそうです。)
 
 オートワークスでのFC3ローターでの最高速のイメージが強い岡田さんですが、
 彼との出会いはストリートゼロヨン、いや、まだ暴走族だった頃です。

 四輪で、最初に覚えているのは、彼が3リッターの箱スカだったか、
 ジャパンのツインターボに乗っていた時分、まだロータリーに乗る前でした。
 今はキャロッセの社長をしている長瀬さんが、昔のワークスたかの店長だった時分か、
 もしくは、その前の東京堂か?にNGKのレース用プラグ買いに来たときだったと思います。

 私は、当時ロータリーエンジンが好きで、RX3やSA22C転がしてたので、
 「俺もロータリー買った」といって、赤いリアスポイラーのついていない、
 せむし見たいな前期SA22C、
 つるしのショートのタコ足に、
 ヘンテコなφ75のマフラーつけて、斜めに入る加工ぺり乗って来ました。

 現 スターフィールドの星野さんが、当時、マツダのディーラー勤務の頃で、
 共通の師匠でありましたのと、実家も近かったのこと等から、深夜のパチンコ店で
 待ち合わせをして、明和ゼロヨンにも一緒にでかけました。

 その後、何度か職を変えて、
 渋川の工場跡地に岡田エンジニアリングという屋号で
 チューニング屋を始めるということで、
 私の留学先のアメリカまで時差を無視して電話をかけてきて、
 ウェーバーのジェットフルセットでほしい、やれ、
 ジーンバーグのキャブがほしいからすぐに持ってきてなどと
 無理難題をお願いされてました。

 オレンジカウンティの先のアナハイムのレーシングビートまで行ったり、
 ジェットを山ほどかったり、ワーゲン屋にいって、キャブを買って日本に帰りました。

 その頃、いや確か、そのあとに、
 伊勢崎に移った後、赤いFCに3ローターペリ(13G)のエンジンを載せて、
 JARI谷田部で最高速をチャレンジしてNA300km/h超の記録を出しました。
 前にも書いたかもしれませんが、このときだか、最初にランオンさせたときのRJロータリーの
 リダクションセルモーター、貸したきりでまだ返して貰っていません。

 その後、伊勢崎の店を閉めて、
 前橋刑務所の横で塩ラーメンの店を始めました。前にもブログで紹介してますね。

 らーめん かじゅん

 自動車業界関係者も足しげく通っていましたが、
 実は、複数のラーメンメーカーの方が何社も通う位の名店でした。
 
 そこを一旦占めて、またいつものごとく、ふらふらしたのち、
 再度開店したのが昨年、
 日本に戻っても、もう食べにいけない、会えないのが残念でなりません。

 日本円持ってないから奢ってよ といって、ご馳走になった、
 この時のラーメン代、まだ払えていないままです。 

 カップラーメンでかじゅんをプロモートするとの約束は、残念ながら、かないませんでした。

 置きっぱなしの、RX3に4ローターのせて、32インチのタイヤいれて、エアシフターとの夢も絵図だけで、
 完成した車を貴方に自慢にいくこともできません。
 小僧の頃のように、夜中に家の前に直管でいって、ブリッピングで呼び出すこともできません。 

 いつか、あの世にいったら、また、二人で口三味線で、ホラ比べをしましょう

 墓所は、最初に工場を出した渋川、榛名を登ったグリーン牧場の近くらしいから、
 きっと眺めの良いところでしょう

 眼下に走る上越北陸新幹線、関越高速走る車、眺めながら、
 俺のほうが速かったっていうんだろうなぁ

 
 
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コメント

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No title

ども!

岡田さん、亡くなったのですか・・・

ご冥福をお祈ります。

以前、EVO2のヘッドOHした後、調子を崩し、星野さんの所に、泣きついた時、
革ジャンの岡田さんが居て、星野さんと一緒に、観てくれました。

その後、自作マフラーを作っていた時、SUSのパイプが、ほんの10cm位、足りず、
ずうずうしくも、伊勢崎の岡田さんの所に、行って、もらって来たりしました。

自分なりに、車に一番、燃えていた頃でした。

Re: No title

Nohoさん

 ひさしぶりです。

 梅雨の晴れ間の、五月晴れ、
 逝きしあなかま、残す残響

 同世代だと残る時間数えるようになりますね、
 
 その後、フルコン化いかがですか?
 モーテックでも大容量ファンのPWM制御は、ハイブリッジが必要で
 嵌ります。
 かわばたさんも、ここで苦労してますね

 岡田さんの逝去もそうですが、
 星野さんも787大破しちゃいましたね、
 大変な時期です

ありがとうございます
涙がとまりません
ありがとうございます
もう一度もう一度…逢いたいです…

Re: タイトルなし

岡田さんの知己の方でしょうか

コメントありがとうございます。
思い出されるくらいの人ですから、きっと幸せな人生だと思っていると思います。
賽の河原でローターハウジング積み上げてるのかもしれません。
帰国したら実家に顔だしてこようと思ってます。

はい
出逢った時私はまだ17才でした
彼が免許を取得して初めて乗った車
マツダのコスモ13Bその後RX7SA22C
FC3Sなど本当にロータリーが好きでした…
自然に覚えてしまいました

歳を重ねるってこのことでしょうか

初めまして…
雑誌でしか拝見してませんが・・・セブンに憧憬する自分にとって気になる人でした。
歳を重ねると、いろんな人が草葉の陰に隠れて行きますね。
1度岡田エンジニアリング覗きたかったです、ラーメン食べたかったです。

合掌。