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2022/01/17

有朋自遠方来。不亦楽乎 朋あり遠方より来きたる また楽しからずや

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C氏のW124 規制の厳しい台湾で 400E 北米並行の左ハンドル登録は至難の業だったと想像します
AMGの初期エアロがついています ライトは当時の米国仕様です

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ATFパンをつけています。オイルパンも装着いただき、水温が台湾でも下がったと聞いてよろこんでいます。
油量増加でライフスパンも伸びたとの報告でした。

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3pのダックテールですね トランクも形状が時期によって違って、装着が違ったと思います。
エアロ キットにはあいかわらず疎いです


今年 最初の投稿になります

朋有遠方より来る また 楽しからずや いわずもがな孔子 論語の一説です

えー 道楽で作成しましたオイルパン ATFパン 良いものである、ありたい との自負がありますが、
売ることなんか考えてなかったので、それは高価なもので、
おいそれと 見ず知らずの人、しかも海外から、ものも見ないでポイと 買えるようなものではないと思います。


でも、こんなご時世で、渡航ができないということなのか、インターネットの普及、SNSの普及で
国境の壁はなくなりつつあるでしょう、世界各国、これまで本国ドイツ、最大輸出国のアメリカ、
社会主義後のロシア、ウクライナ、おそらく並行でイギリス、そして産油国アラブ、ドバイの
国々からオーダーをいただいてます。うれしいことです。


そして、昨年、おとなりの中国 台湾からご注文いただきました。

中華圏からの注文は初めてですので、特別にうれしいですね

われわれのM119エンジン W124エンジンができたのが、
東西冷戦末期、まだ東西ドイツ分断で、ソビエト連邦と米国が覇権を争ってた末期です。

そのため、当時は、社会主義国圏では外貨浪費のベンツを個人でもつことなんか夢の又夢でした。

大学の卒業旅行で、改革開放前の中国からモンゴル抜けて、ソビエト、ポーランド、東ドイツ、ユーゴスラビア、チェコを
シベリア鉄道で旅行して、パリまでいったので、実体験として感じてます。

その当時から、

特に プラザ合意後の円高、日本の経済、総合的国力はいまだ強かった。
その結果、”お化け”セルシオみたいなものができて、

その対策でできたのが、4発、6発のW124に、
無理やりV8のせて、急場しのぎ、付け焼刃でつくられたのが、500Eです。これが事実です。

主戦場、メインマーケットの北米以外にも、
中古車雑誌の影響もあったんでしょう、並行で、まだバブル残り香の日本には、たくさんの500Eが入ってきました。

SJの車体番号照会リストだけで2000超台くらいあったから、強気にみれば、4000~の台数が2000年代の一時期、
日本にあったと思います。

そんな環境もあり、日本で爛熟、熟成の500Eが、本国や欧州、ロシア、東欧、各地にわたっています。

これもまあ、悲しいですが、経済力や環境かんがえれば、自然なながれなんでしょう。

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり

そう思うわけです。


さて、ご購入いただいたCさんは、
台湾人で北米から400Eを輸入して台湾登録したそうです。

台湾には、友人も多く、頻繁に往来していたので、W124をよく見かけました。

もちろん、左ハンドルで、ほとんどが4発か6発、V8は見たことがなかったです。

土地勘もあり、また、同じ文字を使う、大中華圏からの注文は特別にうれしいですね!

うん、時代の移り変わりを、あらためて感じます。

夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過各なり 春に思いますね

月日は当然に流れるもので、人も車もまた移り行くものなんだと 感じます。

当地でも、華僑系の友人が多いせいか、また年をとって昔を懐かしむのか、
中高生のころ、盛んに学んだり、筆耕した、
漢詩に親しむ機会が増えました。

当時は、中国語も全くわからない、北京語と広東語の区別もつかないくせに、
ましてや、中国なんかいったこともないくせに、
送り点、通読で、漢詩や、論語、古典を読んで、講釈垂れていたなーと懐かしく思いだしました。

うん、私の「童貞が作ったAV」風は、実はこのころから、始まっていたんだと思います。
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