ガレージ電動シャッター設置工事

2柱リフトを設置して、快適に整備ができるようになったガレージですが、表の大型シャッターが経年劣化で開閉が困難になりました。
シャッター業界というのは、とても閉鎖的で、市場原理での競争がはたらかないためか、このサイズで電動シャッターにしようとすれば、 軽く
じゃあというので、リフトと同じく、中国から混載便でコンテナ仕立てて送ることにしました。
円高生かして、今年、4回目、リフト、トレーラー、馬用品に続いて4回目の中国からのコンテナ便です(笑)。
もう、通関も乙中も、国内輸送手配も慣れたもんでホイホイです。
個人でこれだけコンテナ動かしている人はいないでしょう(笑)
20年前と比べて、私も、飛躍的に中国とのビジネスが年々、増えてますが、まさか中国語でやり取りするようになるとは思っていませんでした。
いつの間にか、私のパソコンにもチャイニーズライターが入っていますし、NHK教育ラジオでの毎日のお勉強も、中国語が加わりました。
必要に迫られて、週に1,2回は家庭教師をつけて勉強しているくらいです(汗)
実は学生時代、86年に北京大に交換留学で、短期語学研修にいった経験があるのですが、その頃、こんなになるとは想像もしてませんでした。
いまさらながら、もっと、勉強しておけばよかったと思っています。
FEC(兌換券)からRMBに闇両替して、その差益で自転車を買っていたくらいで、街中には今ほど自動車はなく、
地下鉄もなく、朝夕の自転車の洪水と、ときどき走る政府幹部の黒塗の「紅旗」やノックダウンで生産を始めたばかりのVWのサンタナくらいでした。
さて、今回の工事は友人がやっている地元の鉄工所にお願いしました。足場を組んで、このあと、既存のシャッターを取り壊して装着の予定です!
アルミ製の5.5m幅で、高さも5M超、電動リモコンが自慢です。どうせだからというので前面、全部を電動リモコン付シャッターにして出し入れを楽にすることになりました。
私は、この電動リモコンシャッターには、ある種の特別な思いれ、思い出があります。
先述の中国留学から戻って、あっという間に何年かが立って、ようやく自分で働くようになった頃、若造、背伸びしたい年頃、生意気盛りで、身分不相応な車を欲しがって、乗っていることを嗜めようとした大先輩は、
「車に乗るには、まずは車をとめるガレージが必要なんだ」と言いました。
たぶん、あぶく銭や、ローンで身分不相応なベンツやフェラーリ、ポルシェを転がしたいと鼻息荒く、意気込んでいた私に、
「今、もし君がその車を買ったとしても、青空駐車場に置くような車じゃないし、きちんとガラージのついた屋敷や住まいに住めるようになってから買いなさい。」
「そのために今しなきゃならないことは、なんですか?」
と諭してくださったんだと思います。
大先輩の住まいは赤坂と田園調布にあり、当時まだ珍しかったリモコン付きの電動ガレージが、二軒ともついてました。シャッターの色は片方が白で、もう片方がシルバーだったと思います。
こう、車がゆっくり入っていくとね、スーってシャッターが開くんですよ、カッコいいと思いました。
手回しのレギュレターウインドウと、リモコンロック付、パワーウインドウ以上の差を感じました(笑)
当時は、バブル期で、今から見れば、大した仕事もしてない、仕立ての悪い海外ブランドスーツを着て、味もわからない葡萄酒を飲んで得意になっていた
(多分、そんな格好で、その連中、雰囲気に属することに心地よく感じてたんだと思います。)
そんな私には、この一言は結構、衝撃で、「まだ人生やり直せるかな」と考えて、酔いもさめた記憶があります。
結局、その大先輩のアドバイスどおり、「しなければならないこと」も考えましたが、するべきこと全てが勿論、できたわけではなく、しなかったほうが良かったことや、我慢が足りなかったこと、誘惑によろめいたことも多かったと思って、改めて、反省しています。
しかも、文言では同じ、「ガレージ」でも、私が手に入れたのはその後八重洲出版から出た「GARAGELIFE」に、出てくるようなガレージではなく、正確には「工場」「コウバ」です(笑)。東大和にあったカーボーイガレージみたいなところです(汗)
その大先輩も、この秋、逝去されました。
私の有様みて、あの世から見て、きっと「しょうがねえな」とおっしゃってると思います。