2017/09/01

あと何年のれるかな (4)  歴史に学ぶ How Long we could enjoy 500E /W124 ? learn from experience and history.


 あと 何年乗れるかな ということにつき、
 夏の八ヶ岳 小淵沢で毎日馬とすごしながら、考えてました
 2017年の晩夏 小淵沢の馬術競技場 クランマー號 誇り高きホルシュタイナー種

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あと何年のれるかな(2)
あと何年のれるかな(1)

その理由は、7月にフランス、イギリス両政府がドイツにつづいて、
内燃機関付自動車の販売を禁止すると発表したことです。

U.K. Joins France, Says Goodbye to Fossil-Fuel Cars by 2040

Britain to Ban New Diesel and Gas Cars by 2040

20××年、自動車からエンジンがなくなる日

邦文でわかりやすくまとめた記事があるのでご覧ください。御堀直嗣氏の記事です
読売オンライン 深読チャンネルの記事へのリンクになります。


ふりかえれば、蒸気機関を利用した自動車、馬なし馬車が発明され

その後の内燃機関付の自動車がカール・ベンツ、
ゴッドリーブダイムラーにより発明(1885)されて、132年

 その後の幾度もの戦争による内燃機関の発達  
 ヘンリ―フォードによるコンベア方式の大量生産(1913)で大衆化して104年
 
 さらに、また大戦争をはさみ、航空機の内燃機がジェットエンジン化により主役から外れ、
 米国マスキー法(1970)による公害規制、環境規制から幾度の強化となり
 原油ガソリンの高騰と、ガスガズラー課税、燃費競争と燃費規制

 トヨタ プリウス(1997)に始まるハイブリッドからもう20年
 電気自動車の普及で、ディーゼルエンジンの自動車が規制される
 内燃機自体が規制されるというのも、まったく夢の話ではなく、
 現実の問題になってきたと思います。

 以前にも書きましたが、
 自家用自動車が普及する前、
 日本ではほんの少し前、地域にもよりますが、50~70年位前まで、
 汽車、電車やバス等の公共の移動手段を利用するか、
 自転車、徒歩、農耕や運搬には馬車や馬、牛が使われてました。

 自動車がここまで普及した今、街中で馬を見かけることは、ほとんどありません。

 ここ小淵沢は馬の町と呼ばれるだけあり、馬の涵養数がとても多く、
馬術競技場の廻りの別荘地では、道路でも乗用馬を良く見かけます。

 私も競技場から行きつけのパン屋さん 週末午前中だけやってる
 長時間、自然発酵のパン、パンの店 「虹」まで

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 後ろに映ってるのがお店、馬に草を食べさせる場所(駐車場兼)もあります。
 Cranmer with Hermes saddle and bridle

 山道、緑道、森の中のケモノ道を登って移動しますが、
 馬装も手入れも必要ですし、車道も横切るので
 舗装路を自動車で移動したほうが速いですし、はるかに楽です。

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 でも、これ、道路舗装や道幅、ガソリン供給のインフラ整備のたまものなんですね
 都市間高速道を整備し、細い道、未舗装の山道を切り開いて、道幅広げて、信号をつけて、
 アスファルトを舗装し、ガソリン供給網を整備したからで、
 何もない山道だったら、徒歩か馬になります。

 電気自動車も毎日乗ってる、内燃機オタクの私が考えるに、電気自動車の充電設備の充実は、
 馬、馬車から 内燃機自動車の変化のためのインフラより整備より、はるかに手間がかからない、
 費用もかからないから、ものすごいスピードで、きっと自動運転のメリットや各種税制等との
 あわせ技で変化してくるんだと思います。

 こう考えると、この車、今のような環境で 楽しめるの、あと何年かというのも、
 部品供給があるにしても、長くても、あと30年位なんだろうかなと思っています。

 世界だけでなく、日本の産業構造も変わることは間違いないでしょうね

 これも振り返れば、
 開国時、19世紀、農産物のお茶、絹糸 陶磁器が、
 明治になり、二次産業製品の繊維等の輸出になり、
 戦後、家電、自動車に主役が移り、
 21世紀になって、家電メーカーは淘汰され、残るは自動車だけですが、この構造、自動車の中身が
 大きくかわるとなると、この国の産業構造、雇用自体がどうなるのかと懸念しています。
 
 内燃機付自動車、自体は、きっとなくならない、でも、
 きっと移動手段、流通手段では主役を渡すことになるのでしょう
 それでも、鞍下に配す、愛馬のごとく、極めて限られた競技や趣味の世界では生き残ることと思います。

前にも書きました ミネルバの梟は夕暮れ時に羽ばたくといいますから、最後の徒花がどんなものか見極めていきたいと思っています。

↑ 4輪モーター制御になれば、当然、差動装置はいらなくなるから、デフレンシャルギア、LSDも、
エンジン同様 物理的に要らなくなる(汗)わけですよー
2016/08/16

杉谷泰造選手 馬術 6度目のオリンピック


馬術障害競技 日本代表の杉谷選手 アベンツィオ号を駆って 6度目 連続のオリンピックの挑戦です。
4年に一回位書いていますが、彼も500Eオーナーで、昔、ミクシーで始めた500Ecstasy は
彼と二人で始まったコミュニティでした。
昨日で、団体障害競技もおわりました。
馬術競技は、馬が競技するオリンピック種目で、
古くはそこの国の軍事力、農業力、経済力のバロメーターでした。
日本が金メダルをとったのは、戦前のロスアンゼルス大会 西中尉が最後、
圧倒的に強い欧州勢、米国と、旧ソビエト諸国にアラブの王族が加わっての戦いで、
多少なりとも馬をかじって乗っている私からすると、まあ、その差は、
歴然ではありますが、日本の仲間が世界の表舞台で戦うのはうれしく、夜中にテレビ観戦です。
障害競技では、千葉の福島大輔、クレインの桝井選手、二度目の挑戦の武田製薬の創業家の武田麗子が
出場しています。
次回は、日本開催、
あと4年でどこまで持っていけるかだけど、
道程は長く険しく、時間もないぞ!
2015/12/12

「500Eを買おうと思うんだけど....」との相談について、2015年版 (2)

買おうと思うという相談について、
考えてみれば、このブログで触れたことはなかったと思います。

理由を考えて、思い出してみてもわかりません。
私にとって、相談っていうのは、なんかこうお金貰ってする仕事の匂いのするものですし、
職業上、はっきりした前提事実や充分なヒアリングなしに判断できないというのもあるのかもしれません。
予算とか、そういう感覚が乏しいせいもあると思います。


昨年の今頃、振り返ってみれば、
私のこの車に対する閉塞感 ゆきづまり感でした、


それより前は、しなければならないことは判っているものの、その実現化のために
模索、七転八倒していたんだと思います。

まずは、故障基礎整備、エンジン載せ替えて、外観仕上げたものの、
相変わらず、冷却系で苦労を重ね、先達のノウハウ整備力を基礎として、
ようやく、モーテックの力を借りて、点火時期、ノッキング回避ができて、
なんとか先が見えてきた、駆動系の弱点も克服できるかという状態です。

ご覧のようにかくいう私でも、モグラタタキ状態での下りエスカレーターの駆け上がりでした。
今でももがいています。

そんな私の経験、全開走行もできる高性能実用車を目指す立場からすれば、
誤解を恐れずに言うと、ほとんど多くの車がベース車、レストア用に過ぎないと思います。

なので、どのモデルを買うにしても一緒です。
排気量もエンジンオーバーホールする際に足りなければ上げればいいし、
上っ面の差異をモデルイヤーで区別する必要性は実質的に結果として無価値になると思います。

事故車とかいいますが、当たってない車は、ほとんどありません。
安心してセレット、グローバルにかけて、修正して、必要に応じて補強してください。

車の修理について、
主治医って言い方は、すごくカッコが悪く思うので、私は使わないのですが、
自分で治すにしろ、一定数以上は必ず外注することになるので先になるので、
そのあては大事です。数万点の部品交換と修理をするので、
普通の人なら、自分のプロジェクトのために人雇う、工場を借りる、請負先からはじめるか

頼れる修理工場なり、修理取りまとめをしてくれる経験者、お店が必要になることになります。

住んでるところによって、遠近の差異はありますが、経験値の高いところで、
あとは、その人との相性だと思います。

もっと趣味性の高い車なんか、走行距離のほとんどが、
自宅と店の往復になる位ですから、近いに越したことないですが、
まあ、遠くてもそれを補うメリットがあればいいんだと思います。

一方向性のきわめて強いwebメディアですから、拙文を読んでいただいている方の多くの人とは
残念ながら、お話ししたことがありません。
また、大変なこと、新しくこんなことに挑戦しようとする方とも、
ほとんど、お会いしたこともありません。
でも、こんなことやろうとする追いかけてくる人達がいるのが嬉しいね、
2015/12/04

「500Eを買おうと思うんだけど....」との相談について、2015年版 (1)


このブログを見ている人には意外に思うかもしれませんが、
私の周りの友人や親族の多くは、一部の人を除き、
私が500Eに乗ってることを知りません。 たぶん(笑)

その一部の人、幸か不幸か、
私の馬鹿さが伝染した方々か、目にもの見た方か、
遠くにありて音にでも聴く方からは、社交辞令半分、
500E購入について相談を受けることがあります。

海外から、円安下の日本の500Eを買いたいという話も多く聞くようになりました。
私の知りうるところでも、幾十台か異人さんに連れられていっちゃってます。
これ、富の還流、自然な流れなんでしょうかね
少し、寂しい気がします。

そんなセンチメンタリズムはさておき、
それ以外の修理する前提、レストア前提、海外輸出やビジネス前提の方を除いて、
東海の小島、敷島の瑞穂の国で、500Eに乗りたいという人が、
最近、身近にも複数、あらわれました。奇特なことです。


いずくんぞ、汝 艱難辛苦を求むる哉

私もようやく道半ばではあるものの、少しは経験も積んできた身としていえば、


よくぞ、こんな困難な道程の入口に立ち、
飛び込む決意をされたと感服します。
乗ってる時間より、弄り壊している、私なんかが言えることじゃないですけど、
脱衣婆か、獄卒の煉獄六道無限地獄の案内人の心持であります

とはいえ、同好の士が苦労を覚悟で増えるのはうれしいこと

メルセデスベンツ W124 500E、E500

所詮“趣味性の高い(元)実用車”@2015ですので、
そこに何を見出すかで、どれだけ浪費、もとい資本投下するかが決まります。


正直、私にとって、ベース年式、モデルに、特にお勧めはありません。
まともに乗ろうとすれば、全部やり直すんですから、どれでもほとんど大差がないです。
400Eでも、前期91年でも、中期93年、後期95年、96年のリミテッドでも
6リッターでも、AMGでもブラバスでもかわりません。

どうせ、ぜんぶやり直すんだから、かわりません。
なので、直観で、縁を感じたもの、縁があるもので良いと思います。


2015/01/27

部品値段を書き出してみて感じたこと、なんで、いまだ、今さら、500Eか? やっとわかったか?

 毎年、年末に書く、
 まとめ的なこと、前に書いた、なぜ500Eかについて、
 ちょっと、おくれて、新年またぎましたが、旧暦の新年、春節には間に合いました。

 
四年前、2011年に書いた
20年たって振り返り見る500Eの魅力ってなに? (1) 目に見えるものと 見えないもの

翌年、2012年に書いた
500Eにのるということ(3)―趣味性の高い実用車にいくらかかるの?―

 ここでも、今年と同じ、めったにやらない、数字の書き出しをして、相当ストレスを感じながら思っていました。

 私が、値段、価格をあまり書きたくない理由としては、先に書いた趣味性、道楽の部分、粋、無粋のこともあるのですが、
 それ以外に、値段が先歩きして、ものの本質が そのものの価値が歪む,見えなくなると思う理由があります。

 私は、マーケットの中で生きているためか、ものの値段なんてものは、交換財にしか過ぎない貨幣の多寡で実はフィクションにすぎないと思っている人間です。
 (乱高下する為替レートや紙屑になる国債、バブルの土地や株価、チューリップのバブルを思い出してください。)
 
 
 
 
 

 新車価格が高かったから、ベンツだから『高い もしくは価値がある』というのは、
 これを、特定の角度からみた、貨幣の多寡 他人の評価付けベースでしかないと思っています。
 ここで既に他人の評価尺度を借り受けています。

 
 私が「ポルシェラインだから」、「ポルシェが作ったベンツだから」というのが嫌いなのは、
 
 
 同じく、他人の評価尺度に加えて、更に他人が作った表現を借り受けてる二重の自己感覚の否定に、さらなる寒気を感じるからでしょう。
 
 

 じゃあ、絶対的な物理的比較、
 現行車との価格含めた物理的、性能の複合比較もありうると思います。
 ただ、それだけじゃないと思うんですね。

 他人の評価尺度借りないで、自分の感覚を数値化、あきらかにしたい。
 実は、私は、こんなこと、何年も前から、ぼーっと、ずーっと考えています。

 要は、自分が感じる主観的価値の尺度基準を知りたいと、今でも、モガイテいます。

 もし、この土俵、主観的価値を比較するとしたなら、

 それは、かけた時間を時間コストで足し引きしたり、満足度を乗除しなければ、比較できないなと
 気が付きました。私にとっては、使ったお金、値段、価格のサマリーじゃないんですね。

 こんな抽象的なこと、なんとか、数値化できないかと考えていますが、
 現在の時点での、仮、として、私にとっての、バランス、自分にとっての、主観的、本質的価値とは、

  ((現時点での第三者評価額+これまでかけた時間、努力)×満足度) ÷ 性能比較指数

 になると思っています。

 この場合、「性能比較指数」は、他車と比べて、特定の条件で、遅ければ、その分、
 数値が大きくなりますし、速ければ、小さくなります。
  
 なので、仮に、性能比較指数が、同じなら、ものの評価額が0であっても、
 掛けた時間、苦労した時間、過ごした時間の分だけ
 おおきくなりますし、

 逆に、かけた時間が多く、満足度が高かったとしても、遅ければ、極小化します。

 これが、より高い性能を求める理由です。
 
 性能、速さを比べるために、その手段の一つが、ドラッグレースであったり
 シャーシダイナモ、もしくは、最高速でもいいし、特定場所でのタイム、加減速でも、Gの大小でも
 物理的性能でも、いいと思います。

  これらが、[なぜ、500Eなのか]、という私の答えの一つになるものだと思っています。

わかりずらい、書き方ですが、掛けた時間、自分にとっては少なくない努力、勉強と、
 性能の微分、積分解が多いからです。
 要は、ある程度、長く続けていると、もう他に乗り換えられない、
 これで、相対的性能がさらに良ければ、さらに良し、でもがいています。
 
 実は、私にとっては、正直、別に他の車種でも良かったわけです。
 これ言うと、がっかりする人もいるようですが、申し訳ないが、これが真実です。

 ただ、それが、ある一瞬、良さそうに見えて、よーいドンで、始めて、

  これまで、莫大な時間、価値を投下した。 物凄く集中して
長時間継続して一つのことをひたすら考え続けた いまも そう
くる日もくる日も ずーっと


 その結果、現在価値より、はるかに肥大極大化した、かけた時間価値、これが、多いから、
 分子が大きくなり、それをより大きくするために、分母の「性能比較指数」を小さくしよう として、
 いるのだと思います。

 あー、なんか、ようやっと、良くわからなかった、自分の考え方の根本の整理がついたような気がします。