ウクライナのキエフからの W124の気合の入ったレストアの様子が届きましたので
ご紹介いたします。
旧ソビエト連邦のウクライナ、
旧ソビエトの崩壊後、独立したのが91年ですから、今から 28年前
その少し前の80年代後半 ペレストロイカや
ソビエト崩壊後、西側の情報が急激に入るようになるわけで、これにより、
当時の共産圏の計画経済下での自動車と比べると、
それは抜群に高性能、斬新なイメージ、自由と豊かさの象徴、憧れとして
西ドイツのメルセデスベンツは輝いていたわけです。
丁度、そのころ、私は、学生時代、大学4年の卒業旅行で
このソビエト連邦に旅行しました。
当時は、日本では、多くの社会主義圏の個人の自由旅行ビザが取れませんでした。
そこで、イギリス統治下の香港にわたり、
中国に行く、北京でシベリア鉄道のチケットをCITSで ベルリンまで買う。
東側諸国の中国では、ビザが取得しやすいことに目をつけて、
中国でトランジットビザを軸に、
モンゴル、ソビエト、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリーと大使館巡りをして
いくつものビザで厚くなったパスポートを手に、北京、ウランバートル、イルクーツク経由でモスクワまで行きました。
外貨との交換が制限されていた当時の首都、モスクワは、共産主義感が
それは強くのこってましたが、走る自動車、四角いラーダだとか、 高級官僚専用のジルなどを眺めてました。
このレストアをしているウクライナの青年、この時代に見ていた憧れの西側のイメージがあるんでしょう
その後、しばらくたって、統一後のドイツから、
古いドイツ車が 東欧圏に中古、ボロボロで安価になって大量に流れてくるわけですが、
旧CSI諸国では そんなわけで、いまだW124が人気なんだということです。
さて、旧CSI諸国のウクライナ、反ロシア感情が高いので、旧ソビエトとかいうと怒られますが、
人件費の安さもあってか、ドイツで使われたときの塩害から、フルレストアしている人が少なからずいるそうです。
旧CIS国、社会主義圏は、気合がはいってる人も多く、
前述のツインターボのM119や、ボロボロの車を独自でチューンして、楽しむ人も多いようです。
アメリカ、欧州、日本、アラブ国家につづいて、第三の波ですね
前置きが長くなりましたが、

やりますねー
バーベキューにして、ドライアイス ブラスト かと思いきや、
サンダーで 防錆剤、塗装を剥いで、ストリップにして、補修しています。

写真の車は、V8モデルですが、400Eだそうで、バッテリーの深さや スペアホイールの深さが違います。
こう見ると、サイドシルの2本の太いフレームがキャビンを支えて、室内側で 左右の横のバーがあるはずですが、
そこから、リアホイールハウス、に行く間は 何もない、
4つのゴムマウントで支えている、サブフレームで繋いでいる、構造が良くわかります。
こりゃ、大トルク欠けると、トランク室内のアキュームレターのところにクラックが入る、
リアのガラスが割れる、剥離して白くなるという理由が、これ見るとよく わかります。

フロア自体 裏側は、ほぼフラットで、室内に補強のサイドバーで左右のサブフレームを連結しているわけですが、
床面は、プレスで各所に凸凹を造って、強度剛性を増しています。

良く見ますと、床面の鉄板の合わせ、右バンクのマフラーの逃げの部分と、左右の鉄板のあわせが、直線ではなく、
折れ線グラフ上になっているのがわかります。

床面は、スポットの間隔が ドア部などより広くなっているので、ここも補強すれば、効果的だなと思います。

リアのシート下は、右が燃料ポンプ、左はマフラーのサブサイレンサーのために大きく四角いスペースがあいています。
画面左上に見えるのがサブフレーム固定用のボスです。
ここは、エンジン、デフの駆動力がかかるのと、
タイヤで跳ね上げられた錆で腐食しやすい場所です
下のリンクのとおり、リプロダクションで ここの部分のプレス鉄板がでています
ドイツの会社ですが、これあると、腐食している中古並行車のレストアには便利だと思いました
Trab Han のEBAY ページこれから、このような作業する人、しようとする人が 世界では増えるんでしょう
幸い、新規並行やD車の場合、日本の場合、500Eで塩害でやられている車はすくないでしょうが、
大量に入ってきた中古並行車は、個々の部分や、ラジエターのロアサポートが 腐食している例が散見されます。
こういうの出てくると、ありがたいですね
そのうち、w124036 500Eでも こんなカーベキューをするような人が出てくることを望んでいます。