2018/04/02

CARBOY Returns


すでにご存じの方も多いと思いますが、八重洲出版からCARBOYが復刊されました。
 雑誌としてでなくムックとしての発刊ですが、手に取って眺めると、十代のころ、毎月15日に発売時に書店に
 駆けていって手にするときのドキドキや、何度も読み返して、
 ここから、わからないことを調べ、学び、人から乞い聞き、またその先へと、進んでいいこうとした感覚がよみがえってきます。




 表紙になったのは、八王子のライジング 伊藤さんのS30Z L28改のエンジンルーム
 アルミビレットの長いインマニとインジェクションのスロットルボディ、
 インジェクターハーネスを見えないようにまとめた配線の美しい取り回しと、フュールデリバリーパイプのバンジョー
(赤アルマイト)の取り回し、

 カムカバーに増設されたブローバイパイプの2本のアルミパイプの取り廻し、
 下から覗く、6気筒のタコ足のおどろおどろしさ、エンジンルームの黒の艶ありと、ワイヤータッキング、
 ラジエターサポートのパーリング、等々が見て取れます。



 ところで、この雑誌、主要な広告代理店を通さずに、往年来の各テクニカルショップや往年の読者有志による寄付によって、
 製作費の一部を賄っています。

 私も、往年の有志の一人末席として、協賛しています。国産チューニングとは縁が遠い500E倶楽部なる文字がでてるのは
 そういうわけです 誤植ではありません(笑)




インターネットWEBの時代なので、QRコードでブログに飛ぶようになってるそうです
でも、この雑文、500E関連の多くは、元カーボーイ読者から見ても、あきれるような偏執狂的なマニアック、マスターベーション記事が多いので、リンクを辿ってもためにならないのではないかとやや心配しています。

 今思うに、たしか雑誌の値段は当時500円、高校生のときのお小遣いが5000円・月だったので、
 所得の1割をこの本に使っていたんだと思うと、30年余後の今、本来なら、雑誌一冊の製作費だすから、好きに作ってください
 とポンといきたいところなんではありますが、
 そこまでは到底いたらず、このような協賛となりました。ライジングの伊藤さんやラウの中居さん、RSヤス、
 ナプレックの名古屋さんやサクラムの宇野さん、アートテックの花塚さん、プロモデットの小峰さん、
 風クラフトの風間さん、ザウルスの林さん、クルウチの久留内さん、 ナインレコードの長谷川さん、ブラックラインの鈴木さん、
 そして、エスコートの塩原さんらと
同じ―ページに、名前がのるのは、とても気恥ずかしいものですが、良い思い出になりました。

雑誌の写真みても、板前サニーの廣野さんや、新潟のスバル360のコレクターなど懐かしい写真の上にいます

みなさんも是非手に取って、見て、往年の感動と これまでの発展の結果、
これからの先を感じてください

アマゾンでは品切れになって、一時3000円位になってましたが、増刷対応で落ち着いたようではあります。

へへへ、でも私は、協賛したので2冊あります。

でも、一冊は日本において、もう一冊は香港の家に持って帰るので売りません 


2017/12/24

MERCEDES ME HK CLOSE



香港のセントラルにあった MERCEDES ME のレストランが先週の土曜日に閉店しました。
 日本では、羽田空港に同じ名前のカフェがありますが、
 こちらは、夜0時まで開けている飲食中心の豪華高級レストランでした。
 洒落た内装と、良い給仕サービス、良い器をつかって盛り付けも綺麗な、美味しい料理でして、
 仕事かえりに少しおめかしして出かけるところでした。

 遅くまでやっているのと、雰囲気がよかったので、通いつめてたこともあり、とても残念であります。

 今やニューヨークより高くなった家賃、その超一等地にあるため、高騰する家賃負担が影響したのかとの
 噂もチラホラききます。

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 とはいえ、来年4月には、違うところでオープンするとのことですので、一安心楽しみです。


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 そんなわけで、先週の金曜日、閉店日の前の日にディナーに早い時間にいってきましたが、
 このあと、空いてるテーブルもすぐに埋まり 満席となりました。

 ここもまた、移り変わりの日々であります。


 

2017/12/14

Formula E から見る日本の斜陽   Concerning about Japanese near future by Formula E  racing in Hong Kong. 

何度目かのFormula Eが 香港で開催されました。
マカオグランプリみたいに市街地を閉鎖しての公道レースです。
まもなく 香港と澳門も 世界一長い橋で繋がります。
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日本でいうと、金融街、
土日の大手町や丸の内を周回するコースをイメージしていただければいいと思います。
100階建超のビルと フェリーターミナルの間に 仮設のピットができてます。
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日本からも小林可夢偉が参戦してます。
最高速は200km/H程度ですが、排気音もなく、滑走していくレースは、
爆音のドラッグレースになれた耳からすると異様です。
ドライバーにいわせると体感400km/hというのもあながち嘘でもないと思います。
私が普段右折をしているところをUターンするコースで、道幅も狭いし、
路面状態もコンクリートだったり、ゼブララインがあったり、公道なので水勾配があったりです。
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終わった後の路面を、歩いてみてみましたが、ヘアピン前にブレーキングのタイヤ痕が
減速Gの多さを物語ってました。
ダウンロード (2)
この中に 我が国のメーカーはいますでしょうか?
8月の記事でも書きましたが、内燃機関の自動車の変化に関して、
大きな流れの中に我々はいるようです。
日本のメーカーの参加が少ないのは、内燃機中心、モーターのEVよりは、折衷案のハイブリッドが
主体なため、こういった方面への参加が企業戦略として抵抗があるのか、
EV化への画期的な代替案、対抗策が無い状況で、方向性を変えて水素、燃料電池にいくのか、
国、産業の大きな舵取りが起きている中で、苦労している感を感じます。
欧州、中國でのEVへのシフトのスピードを肌で感じていると、
我が国の主要産業である自動車、2-3万点の部品の摺合せによる産業を支える協力下請工場と
それら関連ではたらく物流等の産業構造自体に、ものすごい、先の大戦に負けたのと、
何倍規模の経済規模の影響があるのではと私は考えています。
明治維新から今年で150年ですが、
開國以降、金銀や茶や絹といった一次産業中心の輸出から、
殖産興業と戦後の復興をはさんで、繊維、電気機械、自動車と主役は変わってきました。
私の生まれ故郷は、北関東の地方都市ですが、
蚕、養蚕と繊維  織物は、私が小学校に上がるころには廃れていて、
そのあとに電気機械や自動車部品、自動車の産業が主役となっていました。
久しぶりに故郷に帰って街を眺めれば、昔あった
旧中島飛行機、ダイハツ自動車の工場はショッピングモールになっていて、
雇用の受け先であった、松下電工、日立やNEC、サンヨー電気、シャープの工場は、会社自体が
合併で消滅したり、海外企業に売却されています。
今でも、自動車関連の協力工場は  なんとか  しがみついて  頑張っていますが、自動車メーカーの海外進出にあわせて、
自動車産業にとって、東洋の新デトロイト(笑)となったタイや
主要消費地の中国に出ていったりしているところも多く、かろうじて、土俵際で踏ん張ってる感を
感じます。
これで、内燃機なくなってだと、大幅に下請工場は減るでしょうし、電子部品のユニット化が進むと
メーカー統廃合もさらにすすむと思います。
あと20年後に日本の自動車メーカーが、この変化に対応して生き残っていくのかを考えると
このままの形態で全部の会社は残らないだろうと思います。
などと書いていたら、トヨタもエンジン単独の 自動車販売の中止時期を発表してきました。
がんばれ トヨタ 日本の産業の要 と祈る気持ちでいたいのですが、
いつまでもハイブリッドでは、 帆船時代に 蒸気機関 を足した折衷案の愚策の二の舞にならないことを祈ります
水素も 国のエネルギー戦略が いまだ敗戦国を引きずる ドメスティックでは、
どうも 潮目が悪いように感じられてなりません
2017/12/02

500E W124 の 家具 Mercedes Furniture for W124 500E Freak


 W124 500E のソファー と M119 エンジンテーブル いいですね


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 昔、友達の部屋に遊びに行くと、
 ピストンを加工した灰皿があったり、 スリックタイヤにガラス板を置いたローテーブルがあったりしました。

 米国の友人の家に、遊びに行くと
 59キャデラックのソファーがあったり、57ベルエアのソファーがありました。

 実際、自分で一人で暮らすようになって、
 狭いワンルームでは キャデラックソファーどころではなく、
 マンションを購入しても、そんなもの置ける場所もなく、
 家を建てても、建築家が、統一感のないソファーなんか置くことを許してくれる訳もなく、
 別荘にしても、デザイン統一とか考えると結局おけない。

 ガレージも、工場兼倉庫で べつにそこで座って、寛ぐることなんかないから、やっぱり置けない

 あこがれますが、こういうの置いてカッコいいいのは 自動車関連の仕事なんだろうなって 思います。

 少しは広くなった、今住んでるところに置こうとしても、全体統一しないと まとまらない、どころではないし、
 一抹の寂しさを感じます
 
 
 こちらがデスクですね

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 少し真面目に、欲しいなって考えたとき、リアのトランクは、500バンパー使うとすると、ホイールアーチのカーブと
 切だしの垂直の背を合わせるのが難しい、
 座面クッションは、友人の家のキャデラック、ベルエアなんかだと板にウレタンだったから、実は座り心地わるかったので、
 リアシート加工か、前席の椰子クッション、スプリングとしたいとか

 フロントのデスクはフェンダー活かすとなると、ストラット、ホイール、ブレーキもいれたいとか、
 実際すわると ボンネットの中ってのは狭いなー とか 考えてます。

 椅子はレカロクラシックか? 床のおくマットはサイザル麻のカーペットか などと考えています。

 エンジンのテーブルは、フロントカバー オイルパンつけて、クランクダンパーまでつけたほうがいいですね、
 無理にブロックを”現し”で ピストン、コンロッドの足でなくっても ヘッド、ヘッドカバーつけて、 
 でいいかと思ってます。 
2017/02/22

CAR.BOY2017

八重洲出版のCARBOYが休刊(事実上の廃刊)になってから、
だいぶ経ちました。

一時は週刊文春や週刊新潮より、発行部数の多い雑誌で、たしか30万部とかで、
一時代の文化を創った雑誌だったと思います。

私も学生の頃からの愛読書で、毎月15日の発売日が待ち遠しかったのを覚えています。
若年期の多感な頃、多くの影響を受けた雑誌で、今の車道楽の一因にも間違いなくなっています。

そんな雑誌の看板編集者だった藤本さんが、webマガジンを立ち上げましたので、紹介させてください。

CAR BOY REBORN

藤本さん、モモノスケオフィスが編集著作した雑誌記事が順次アップされます。

20年、四半世紀、30年以上たっても、今読み返しても面白い、雰囲気の伝わる素晴らしい原稿だと思います。

フォントや、段組み、文章のリズム、読者層のターゲッティング、写真、藤本節、
当時の本を読むときの、胸の高なり が感じられると思います。

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それで、写真の空冷ポルシェの記事、読み返しておもったのですが、
プロモデットの小峰さんも、RAWの中井さんも、考えてみれば、藤本さんの記事からなんですね

今、この車、記事の写真を見れば、私なんかだと、
マーレーだからメッキが~だとか、窒素封入のexバルブはとか、
バルブリフトはもっと大きいほうがシングルバルブだととか、フィンのピッチがどうしたとか、
細部細部に粘着するんでしょう

空冷ポルシェが高騰したのも、オーバーフェンダーつけた車が増えたのも、これらの記事が
発祥だったんですね

私の書く雑文は、こんなに爽やかではなく、偏執狂のブツブツつぶやく独り言に近いのですが、
もともと影響をうけたのは、こんな文章だったんだと気が付きました。

こんな文章を書ける大人になりたいと思っていた、頬熱く理想、夢を追いかけてた青春時代を思い出します。

一つのことを長く考える、深く考える性癖があるので、この車のことは続けて記事を書いていますが、
まあ、そんなことをしようかと思ったきっかけは、おそらくカーボーイにあったんだと思います。
創刊号からしばらくは、オートメカニックみたいなA4右開きの雑誌で、エンジンチューンや、エンジンスワップ、DIY記事が
多く、やがてチューニングという言葉が裏通りの雰囲気こそあれ一般的になり、ボーリング屋や解体屋という一般人が知らなかった
自動車関連業が日の目を見ることになったんだと思います。

ゼロヨンや、ドリフト、鬼キャンなんてのも、この雑誌ですよね

登場する人々が、まだみんな若々しくいるのに懐かしさを感じます。



今後もフォローしていこうと思います。